2013年5月5日日曜日

京都の酒屋さん

 京都に滞在していてとき、ワインより日本酒をよく飲んでいて、借りているアパートの近くの酒屋さんにたびたび伺いました。

そのお店はわりと大きな通りに面していて、何度も前を通ったはずなのにしばらく気がつきませんでした。休業日だったり夜遅かったりしてシャッターが下りていたせいかもしれませんが、古風な引き戸がきちんと閉じられた慎ましい佇まいで、通りの雰囲気にすっかり溶け込んでいたせいもあるかもしれません。あるとき、「日本酒」と掲げてある看板に気づき、店頭に目を落とすと「◯◯にごり酒入荷」などと墨の手書きで宣伝してあって、生酒(火入れしていないお酒)ばかりを探していた私たち夫婦は「ここならあるかも!」と期待をふくらませて訪ねてみました。看板には「個性豊かな」という形容詞もつけられていたのですが、それまで酒屋を見つけるたび中をのぞいては生酒を扱っていなかったりどこでも置いているお酒しかなさそうだったりしてがっかりしていたので、半信半疑で来店。ところが中に入ってみると、小さな店内の片側ほとんどが冷蔵庫で、生酒らしきお酒がいっぱい入ってる!それも種類が豊富。迎えてくれた若い女性は、親切にいろいろとわかりやすく説明してくれて、好奇心の強い夫が「赤い日本酒というのを聞いたことがあるんだけど」と質問したら、レジ裏の隠れた棚に案内してくれ、赤い日本酒や十年以上の古酒などを見せてくれました。印象的だったのは、精算時に銀のそろばんで計算していたこと。そろばんなんて本当に久しぶりに見たなあ…。

二度目か三度目に行ったとき、やや年配の男性が店番をしていました。どうやら女性のお父さんらしく、彼がお店のご主人のようでした。しかし、頑固そうな雰囲気を醸し出していて、極端に口数が少ない。味や値段など、こちらの要望を伝えると、冷蔵庫の前でちょっとの間逡巡した後、一本取り出して無言でレジに置かれました。そのお酒に関する説明一切なし…。そこで何か質問でもしたら怒られそうな気がして、勧められたものを素直にそのまま買いました。支払った後は、買った瓶を袋に入れてくれる様子もない。なるべくレジ袋をもらわないように買い物袋を持ち歩いているのでそれでも構わなかったのですが、いまどき「袋は必要ですか?」とも問われないことに内心びっくり…。

その後も何度か再来店しましたが、正直言って、寡黙なご主人だとなんとなく気詰まりなので「娘さんが店番だといいなあ」と思っていました。でも、そのうちに、ご主人も顔を覚えてくださったようで、また、私たちが本当に日本酒に興味があることを感じとられたらしく、段々とお話してくださるようになりました。
あるとき、ワインの棚を見ていたら、オーガニック・ワインについての本が置いてあるのに気づき、つい興味をひかれて見本をぱらぱらとめくっていたら、ご主人がその本の著者がインポーターさんであることなどを説明してくれました。そこで「実は私はパリのワイン屋で働いていて…」と打ち明け、ワイン生産のことなどをお話していたら、ご主人は「ちょっとこんなもの、失礼かもしれませんが…」と言いおいて奥の方へ姿を消し、しばらくして小冊子を手に戻ってこられました。それはお店の百周年記念につくったもので、それまで店頭チラシにしていた酒蔵訪問記をまとめたものでした。まだ数冊残っているのでプレゼントしてくださるというのです。
ありがたく頂戴し、家に帰ってまえがきを読んでみて、このお店のことがいろいろわかりました。

現主人は三代目。つまり彼のお祖父さんが開業し、今年で110年を迎えるお店。
二代目から本格的に日本酒に力を入れているとのこと。
また、二代目は、自動販売機が普及しだした時代にあって、お酒を勝手に売る機械なんぞは絶対に置かないと決めたそう。これは未成年に対する酒類販売の問題があることを考えると正論だったと当主も感心しています。

それで思い出したのですが、以前、うちのお店に子供が二人(14、5歳の女の子と10歳くらいの男の子)、ワインの瓶を持ってきて「開けて」と頼まれたことがありました。店主はワインオープナーを手にまじまじと子供たちを見て「誰が飲むの?」と聞き、子供たちは「大人」と答えましたが、「じゃあその大人に持ってきてもらって」とそのまま抜栓せずにワインを返しました。たしかに、未成年にアルコールの瓶を開けて渡すというのは無責任。店主の冷静な判断にはっとさせられ、「私だったらよく考えずに開けてしまったかもなあ…」と思うと冷や汗でした。

誰に何を売るのか、お客さんが何を求めているのかを考え、扱うものに責任を持つ、それはワイン屋として当然のことだと、私は思います。でも、どのワイン屋も同じように考えているかはわかりません。
また、ワイン屋の外を見てみれば、消費者はスーパーで買って済ませることもできます。それは日本の酒屋も同じ。大手メーカーのビールやお酒なら、自動販売機やコンビニで事足ります。ワイン屋や酒屋が必要なくなるのは、消費者がお酒を飲まなくなるときではなく、飲むもの自体に対する興味がなくなるときなのではないかと思います。この業界が「どれを飲んでも同じ」という印象を与える画一的なものしか提供できなくなれば、また、たった二三の主流スタイルが他に選択の余地がないほど幅をきかせれば、受け身姿勢の消費者の好奇心や興味は起こらなくなり、結局、ワイン屋や酒屋は少しずつ消えていくのかもしれません。
逆に、もし好奇心がわいて、自分の好みにあったもの、美味しいと思えるものをちょっと探してみれば、色々な発見があるはず。実際に今回、その酒屋さんのおかげで、私たちは今まで知らなかった面白いお酒に出会うことができました。有機米だけでつくったお酒や、まだ発酵しているどぶろく、生産数の少なくなった生もと造り…。そして、同一の米と水をベースにしながらも違う酵母でつくられた二種類のお酒を飲み比べたり、注意書きがこまごまと表示されている活性にごり酒を浴室で大騒ぎして開けたり(結局、全く噴き出さずに済みましたが)、楽しかったです。
なんと精米歩合100%
…って、つまり精米していない、
玄米から造られたお酒!
いただきもの。
まだ開けていません。

もしまた京都に滞在することがあれば、どんなに遠くても、あのお店に日本酒を買いに行くだろうと思います。
そういえば、うちのワイン屋も、以前自分が客だったとき、住まいから離れているのにも関わらずわざわざ買いに行っていたのでした。実際お店で働きだしてから感じたのですが、近所に住んでいる常連客が多いけれど、遠くから来店されるお客さんも少なくありません。きっとあの酒屋さんにもそんなお客さんがいっぱいいるだろうという気がします。なんとなく共感できるところの多い酒屋さんでしたが、そんな点でもうちのワイン屋と似たところがあるように思いました。

でも、なるべくレジ袋を減らすようにして、その代わりオリジナルの買い物袋や風呂敷、風呂敷の包みかたの本を売っていたり、空の一升瓶は引き取ってくださって(昔からそれは当たり前のことですが、馴染みのお店ができる前は資源ゴミに出していたので、そんなこともつい忘れていました)、「四合瓶もリユースできるように規格を統一するよう働きかけているが、なかなか聞き入れてもらえない」というお話なども伺い、なるほど、うちのワイン屋やフランスのワイン界もそうしたシステムの点などでまだまだ考えるべきことはあるんじゃないかなあと思いました。

小冊子のまえがきには個人史的なことにもふれてあって、ご主人は庭園に興味があるらしく、有名な庭師の弟子をしていたお友達がいて、その人にお店の裏の自宅部分に小さな中庭を造ってもらったということが書かれていました。私の夫も庭園が好きで、京都ではお寺などもずいぶん見てまわったということをお話をしたら、なんとご自宅のお庭を見せてくださいました。手水鉢の水面には花が浮かせてあり、三尊石も配置され、地面も苔にきれいに覆われて、小さいけれど立派なお庭でした。縁側に座布団を出してくださり、しばしそこに座ってお庭を眺めていると、花の咲いている梅の枝に鳥が一羽舞い降りて、夢のようなひとときでした。

こんなお店に出会えて、本当に良かったです。京都滞在の一番の収穫だったと思います。


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